企業情報
当社は大正14年4月、初代代表者 山下弥之助が土建請負業を創業し、地元高鷲村や関西電力等の工事を請け負い営業し、形を成す。昭和16年の大東亜戦争により、営業活動を中断して当時の国策である満州国建設への大きな夢を持ち大陸へ本拠地を移すも、昭和20年のロシア参戦により戦況が厳しくなり満州を撤退して現住所にて再活動し、現在に至る。
■ 会社概要
社名 | 丸八建設 株式会社 |
所在地 | 〒501-5304 岐阜県郡上市高鷲町鮎立2112番地の1 |
資本金 | 3000万円 |
電話 | 0575-72-0018(代) |
FAX | 0575-72-0019 |
設立 | 平成5年6月3日 |
創業 | 大正14年4月(1925) (会社創世期屋号 : 丸八山下建設) (1963~丸八建設) |
代表者 | 代 表 取 締 役 山下 誠弥 |
取引銀行 | 十六銀行 白鳥支店 大垣共立銀行 白鳥支店 八幡信用金庫 高鷲支店 めぐみの農協 高鷲支店 |
許可・登録番号等 | 岐阜県知事許可:特般(3)第15733号 |
従業員数 | 18名 |
事業内容 | 特定建設業の許可 |
土木工事業 とび・土工工事業 石工事業 鋼構造物工事業 舗装工事業 水道施設工事業 |
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一般建設業の許可 |
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建築工事業 菅工事業 |
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主な受注先 |
◉中日本高速道路株式会社 ◉中日本ハイウェイ・メンテナンス名古屋株式会社 ◉岐阜県 ◉郡上市 |
■ 沿革
本社履歴 | 会社創世期屋号 | 丸八山下建設 創業:大正14年4月(1925) 現代:丸八建設(1963~) |
代表者変遷 | 初代:山下 弥之助 二代:山下 義行 三代:山下 誠 現代:山下 誠弥 |
丸八建設の 辿ってきた 工事 |
昭和10年代 | ●白川街道大改修工事(現国道156号線) ●関電送電線基礎工事 |
昭和20年代 | ●高鷲地区開拓関連工事 ●上野開拓地ため池造成工事 ●ひるがの開拓地ため池造成工事 ●板橋開拓地ため池造成工事 (工事施工には米軍払い下げのブルドーザーが活躍しました。) |
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昭和30年代 | 度重なる伊勢湾台風を始めとする味曾有の台風襲来での災害復旧に会社全体が 一丸となって連日連夜の活躍をしました。 正に30年代は災害復旧に明け暮れ、それは新幹線が開通し、東京オリンピック が終わっても続きました。 |
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昭和40年代 | 地元密着の道路改良工事、河川工事、治山工事と一般土木工事を施工する。 拳競る業界は、国土の基幹産業として国民の期待に答える世界に誇る建築工事や 道路工事、大規模発電所、長トンネル、瀬戸大橋の基礎となった長大橋等の高度 技術の確立した時代と云える。 |
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昭和50年代 | 高鷲町内にて、砂防・治川工事、災害復旧工事、農地改良及び、広域基幹農道の建設を 請け負う。 |
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平成元年〜 | 東海北陸自動車道(Ι期線)の工事に元請け及び下請けとして施工する。 また、開通後の維持工事に携わる。 |